ブログ「癌」というキーワードがありましたので少しは需要があるかと思い…
白血病になった僕が記事を書くことにしました。
正式名は「急性骨髄性前白血病」です。
池江選手がなった白血病と同じみたい。
実際に癌になって不安に感じたことや良かったと思ったことを正直に書きます。
需要があるのかわかりませんが「僕と同じ白血病になって悩んでいる方」の支えになれればうれしいです。
あくまでも僕に対しての治療であって他の人と同じとは限りません。
正直に僕が感じたことを赤裸々に書いていきます。
僕の主観が多いのであくまでも参考程度にしてください。
この記事で知れる事!
- 現在、白血病は生存率80%
- 寛解後1年経過で健康維持
- 2年経過まで後1年
それでは白血病になってから現在(寛解して1年経過)までの正直な気持ちを言わせていただきます!
癌の告知は突然自然に廊下で…
僕は現在46歳のどこにでもいるおっさんです^^
【当日の血液検査結果の紙】
1年半前の4月24日に突然「あぁこれは白血病ですね、このまま入院しましょう!」と言われ、なすがまま治療をしました。
結論を伝えますと
- 治療開始から1年半経ちましたけどまだ生きています^^
- 経過観察の2年の途中です。
- 医療の進歩はすごくて「白血病でもなかなか死ねない」です。
経緯を話しますと
具合が悪くないのに
- 38.3℃の熱が続いた
- 寝汗がすごくてビビった
- 2階に上がるだけで息が切れた
これはおかしいと思ったけど「熱があるとコロナの影響でめんどくさい」「発熱外来なのかよ!」など思い後回しにしていた。
しかし、普段から空手を習っていて運動不足ではなかったのに「すぐに息が切れて運動できない…」などの不思議な現状がありました。
でもおかしいので調べて安心したいと思い病院にいったら取調室みたいな窓越しの診察室で色々検査をしていただき…
血液検査をしたら病院内に呼ばれて廊下の椅子で座ってまっていました。
しばらく待つと、急に先生が廊下の椅子で「〇〇さんですか? ん~この血液検査からみると『白血病ですね、このまま入院しましょう!』と突然言われました。」
(癌の告知って『家族を読んでください、大事なお話があります』とかって無い感じ?)
でも現実は違いました^^
アッサリと白血病を告知されて「目が点…」で放心状態です…
昔のドラマの影響で
- 夏目雅子は死んでるし…
- 本田美奈子も死んでしまったし…
- アンディフグも死んだよなぁ…
正直に「俺死ぬのかな…」と思いました><
- 泣くに泣けないし
- 心の準備できてないし
- 同情して優しくしてもらえるかも
- でも親より先に死ぬのは最大の親不孝かな
- 仕事の引継ぎどうしよう…
色々な複雑な思いが入り乱れてきました。
などわらわら…
でも担当の先生に言われたことが
生存率は80%
タイチさん、今は治療の効果も上がっています。
現在、完治率は「80%と言われています。」
考え方にもよりますが
受けたい大学の合格率が80%ですと言われたらどうですか?
かなり高い確率で合格できますよね?
(でも逆に言えば5人中1人死ぬ?)
考え方次第です。
僕は良い方に考えることにしました。
何にしろ言われた治療法を実践していくしかありません><
(これは神様が与えてくれたいい機会かも、自分の人生を見直してみよう!と思い受け入れることにしました。)
ここから実際の抗がん剤治療が始まっていきました。
治療開始5回の抗がん剤治療
おおよその抗がん剤治療の説明があり「1ヵ月~2ヵ月程の入院→1週間退院→次の治療・・・」を5回繰り返して合計8ヵ月程の治療が続くようです。
死ぬかもしれない不安を抱えながら「どこか現実逃避している自分もいました。」
とはいえお医者様に言われるまま治療をしていきます。
実は最初に「唇の下にヘルペス」ができてしまいます><
ヘルペスが治るまで個室
コロナの影響もあり、感染症も怖いです><
白血病の影響で抵抗力も弱っていたので「唇の下にヘルペス」ができてしまいました><
個室に入れられて、看護師さんは「部屋に入る時、ビニールの服と手袋をはめて」僕をバイ菌扱い(当たり前)です^^
治るまで1週間程かかりましたがそれまでは徹底です。
(そりゃ県経営の癌センターですもの)
もちろん家族でさえ面会禁止でした。
ヘルペスが落ち着くと大部屋(基本2人部屋)に移動して治療継続です。
コロナ渦で子供に会えない
このころ一番つらかったのが「長女に会えない」ことでした><
(中学1年生)このころ僕の生きがいは娘にちょっかいを出すことでした(えっ)
会えないので毎日しつこくテレビ電話をしていましたが(3日に1回繋がれば良い…
悲しい現実を押し付けられました…(笑)
長男もかわいいけどもう20歳超えてるし^^
男同士だから分かり合えるし^^
ぶっちゃけちっさい女の子をかわいがりたいし…
など、複雑な感情が入り乱れてました。
続いて具体的な治療で感じたことを正直に言いますね!
5回に分けていいます。
1回目は飲み薬
- 唇がささくれ
- 寝汗がすごい
- 人生を再確認できた
正直に言いますね、抗がん剤治療っていうと「オエオエ吐きながら一生懸命我慢していく」イメージがあったんですけど実際には「飲み薬を飲むだけ」だったんですよ。
こんなもん?と思いつつ言われたとおりに飲んでいました。
しかし「最初の試練が訪れました」
抗がん剤の薬を飲んでいるだけなのに「唇がささくれて痛い」んです><
こんな経験なかったのですがこれが副作用なのかな?と思いました。
後は、相変わらず寝汗がすごくビックリしたことがありました。
もう1つ一番良かったのは時間がたくさんあったせいか「人生を再確認できた」ことです。
入院していると時間がたくさんあるので、冷静に色々再確認できるところです。
中々自分の人生を再確認できることは無いと思います。
ここを再確認できたのはとってもデカいところです。
続いて2回目以降の治療について触れていきます。
2回目は点滴で軽い
- 足首にブツブツだけ
- 熱が39℃以上><
これは個人差もあるかもしれませんが、僕の場合足首に「ブツブツ」ができやすいのかもしれません><
でも「副作用でねつが39℃でたのはこのせいかもしれません」
副作用は個人差によりますので一概には言えないと思いました。
このころは「同じ白血病や悪性リンパ腫」などの「血液の癌」で悩んでいる同士(共有できる癌患者)でのコミュニティが出来始めていました。
死を直面した同士だからこそ共有しあえることがありますもんね!
でも、僕自身そこまで向き合っていませんでした><
3回目は「俗に言う抗がん剤」
先生に「今回の抗がん剤治療は髪が抜けてつらいよ」と言われ志を持って挑みました。
- 「わかっているつもりでもだいじょうぶ?」
- 「本当に死んじゃうのかな?」
- 「何とかなるんじゃね?」
色々な感情が入り乱れてよくわかっていませんでした><
でも先生に「俗にいう辛い抗がん剤治療だよ、髪の毛が全部抜けるよ」と言われていましたので
再入院前に坊主頭
美容院に行って「丸坊主にしてください。」と言いました。
でも実際に中学生以来丸坊主にしてみると…
- …何も反省することないのに
- 坊主って逆に目立ってしまう
- 今どき坊主っておかしいでしょ!
悲しいですよね><
でもこれが現実です!
心を決めてやりました!
実際に3度目の抗がん剤治療をすると言った通りに…
- 全身脱毛、本当の癌患者に
- 体重が12㎏減った
- 死を覚悟した
風呂に入って髪を洗ったら”ザクザク抜けました”
僕は身長178cmです。
元々あった73㎏あった体重が…
”12㎏減っていました”
この辺は、癌患者アルアルなのかなぁと思い現実逃避しました。
吐き気止めを飲んでも全然効かず…
3日間くらいはほとんど食べれず気持ち悪いので無理やり寝てました><
4回目は「そこまで辛くなかった」
- 点滴ベースでそこまで辛くなかった
- 看護師さんの温かさに触れうれしかった
実際にやってみるとそこまで辛くなかった。
看護師さんが優しかった。
背骨の間にハリを刺して骨髄液?を抜くのが少し痛かった。
(…おじさんだから頑張ったよ)
身体をエビみたいに曲げて抜きました。
5回目は「気心が知れてうれしかった」
慣れたもんでむしろ退院が寂しかった(え)
達成感もあったけど親の心配を払拭できたことがうれしかった。
コロナ渦もあって看護師さんたちには気軽に会えなくなっちゃうけど本当にお世話になりました(お辞儀)
患者同士で作ったグループラインで励ましあっています^^
みんな早くガンを治してがんばってね!
まとめ
- いずれ誰でも死ぬのを実感
- たわいのない普通を幸せと実感できた
- 病気を通して自分の人生を再確認できたのでうれしかった。
- 親の愛を再確認できた。
- 親に心配かけて申し訳ないと思った。
- 再発が怖いと思った。
自分が死んでも特に変わらない日常があるだけかな?
ガンになって一番良かったことは「自分と真剣に向き合う時間」ができたこと。
寂しいことに、所詮自分が死んでも何も変わりません><
自分自身と向き直して「自分の人生について色々考えさせてもらいました。」
死に直面したからこそ言える特別な言葉があるかもしれません。
白血病でも、今の医学は進歩していてそんなに簡単には死ねないようです。
人生は1度なので大切にしてくださいね。